2018年8月7日火曜日

広島原爆被爆者慰霊式並びに平和祈念式列席

6日、広島原爆被爆者慰霊式並びに平和祈念式に議会代表として4名で列席させていただきました。昭和20年8月6日 午前8:15分に原爆が投下され多くの方が亡くなり、また被爆後遺症により未だ多くの方がご苦労されています。当日も午前8:15分に併せ祈念の鐘の音と共に1分間の黙祷を捧げました。各自治体とも小中学生の参列が目立った式典でした。
平和への誓い
人間は、美しいものをつくることができます。人々を助け、笑顔にすることができます。
しかし、恐ろしいものをつくってしまうのも人間です。
昭和20年(1945年) 8月6日午前8時15分。
原子爆弾の投下によって、街は焼け、たくさんの命が奪われました。
「助けて。」と、泣き叫びながら倒れている子ども。
「うちの息子はどこ。」と、探し続けるお父さんやお母さん。
「骨をもいでください。」と頼む人は、皮膚が垂れ下がり、腕の肉が無い姿でした。
広島は、赤と黒だけの世界になったのです。
73年が経ち、私たちに残されたのは、
血がべっとりとついた少女のワンピース、焼けた壁に記された伝言。
そして今もなお、遺骨の無いお墓の前で静かに手を合わせる人。
広島に残る遺品に思いを寄せ、今でも苦しみ続ける人々の話に耳を傾け、
今、私たちは、強く平和を願います。
平和とは、自然に笑顔になれること。
平和とは、人も自分も幸せであること。
平和とは、夢や希望をもてる未来があること。
苦しみや憎しみを乗り越え、平和な未来をつくろうと懸命に生きてきた広島の人々。
その平和への思いをつないでいく私たち。
平和をつくることは、難しいことではありません。
私たちは無力ではないのです。
平和への思いを折り鶴に込めて、世界の人々へ届けます。
73年前の事実を、被爆者の思いを、
私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になります。
平成30年(2018年) 8月6日 子ども代表 広島市立小学6年生・男女2名の平和の誓い
広島市内のホテルが満室で呉市に宿泊、呉線は坂駅で終点、そこからは代替バスにより呉駅へ、31号線は一日中渋滞、鉄路は土砂に埋もれ山側はブルーシートに覆われ西日本豪雨災害の爪痕がいまだ残っており日常に戻るのにはまだまだ時間が必要と感じました。お亡くなりになった方、行方不明の方、避難所にて不自由な生活をされている方もたくさんいらっしゃいます。感慨深い平和式典となりました。今週には台風13号が関東地方にも直撃の様子、災害に対し、行政に頼るだけでなく情報を的確に収集する個人の努力も必要と感じます。何事もなく過ぎてくれればと思います。

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