2016年2月14日日曜日

榛名方面隊第3分団視察研修会

13日~14日 榛名方面隊第3分団の視察研修会に団OBとしてお招きいただき南三陸町へ行ってきました。(写真は中尊寺金色堂前にて)
 14日 南三陸町では語り部(ボランティアガイド)で地元の佐藤良夫区長さんの案内で防災対策庁舎など被災された箇所を見させていただきました。
 カキ・昆布・ワカメなどの養殖が盛んで今は6割ほどが復活してきているとのこと、4年11ヶ月前、南三陸では16~23㍍の津波に襲われ789名がお亡くなりになり、住宅3000棟が流出、今も4000人の方々が仮設住宅でお住まいとのこと。視察させていただいた折立地区では道路沿いの150世帯の内、高台の5世帯を除き145棟が流出、堤防・護岸の強靱化、嵩上げ工事が進められていました。
 また佐藤さんからは2011年3・11の震災から1週間後、高崎ナンバーの軽トラックで支援物資を持ってこられた若い男女の行方を捜されていて、混乱の中で名前も告げずに帰られたお二人にお礼を言いたいと訴えられました、どなたかお心当たりの方、情報をお持ちの方は高崎市役所広報広聴課までご連絡いただければと思います。
 また宿泊先のホテル観洋さんでも震災で2F露天風呂の天井まで浸水、復旧後には二次避難所として地元被災者を受け入れ、今でも月8回無料での入浴サービスをされています、さらに地元雇用の受け皿として新入社員30名を受け入れ、当日も担当の係りの方も大阪からボランティアで南三陸に来られていて、それからの採用とのことでした。

  3・11からの記憶(南三陸ホテル観洋のチラシから)
 2011年3月11日 14時46分、東日本大震災発生以来、ホテルスタッフと地元住民、ボランティアの方々とともに歩んできた南三陸ホテル観洋の記録です。私たちの記憶を多くの皆さんにお届けすることで、将来の防災、減災への取り組みに役立てていただければ幸いです。
南三陸さんさん商店街では仮設の店舗で営業が始まり、流された鉄路を利用しBRT・バス路線として活用されていました。また南三陸モアイのキャラクター「モアーチョ」が飾られています。モアイ(モは未来・アイは生存、生きる・モアイには未来に生きるの意味)1960年のチリ地震津波により被害を受けたチリ共和国と南三陸町、復興と友好の証として1991年にイースター島から送られていたが3・11で流出、2013年5月に新たに送られたものです。
 間もなくあの東日本大震災から5年を迎えようとしています。南三陸に伺い、頑張っていられる現地の方に「ただただ頑張ってください、忘れていません」としか言えない自分がいました。多くの尊い命が奪われ、いまだに復興の足音が微かに聞こえてきた状況・・・・多くの方々がいまだ仮設住宅での生活・・・日々の暮らしに追われ、忘れがちな毎日・・・・もう一度立ち止まり、東北・また福島の被災地に思いを馳せながら、これからも本市の防災、地域づくりの活動に取り組んでいきたいと感じました。被災地で逆に元気をもらって帰路につきました。

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